急がない暮らしは社会と調和できるか?|郊外での休暇から考えるスローライフの可能性

現代社会はとにかく速い。
情報社会での都市生活では、常に時間との競争に駆られます。メールやメッセージには即レスが求められ、拡大する目標や成長への要求、効率性・生産性に追われながら、予定を詰め込んだ日々を送る。公私共に効率性が求められ、“急ぐこと”が前提となった現代社会では、立ち止まることが難しくなっています。

しかし、このままの暮らしを続けることが、果たして豊かな生活につながるのだろうか?
僕自身はそうは思えないのです。ゴールデンウィークに九州の田園地域に帰省していた僕は、そんな思いに駆られました。今回は、そこでの気づきを文章にしてみようと思います。

個人の生活テンポの加速が生じている

私たちは効率的に仕事をこなし、ますます大きな目標を達成することで報酬を高め、余暇(時間的な猶予)を獲得しています。無論、単位時間あたりの報酬が増えれば、それだけ労働費やす時間を減らし、余暇を増やすことができる訳ですが、苦労して得た余暇に何をしているだろう?

倍速でのコンテンツ消費や流行店巡りもあれば、海外旅行国の制覇や期間限定商品の収集など、僕も心当たりのある行動様式がチラホラ。これらは「限りある人生でより速く生き、より多くの経験をしたい」という心情によるものでもあり、さらなるコンテンツの消費と流行サイクルの加速に寄与してしまっています。

ここでハルトムート・ローザによる書“加速する社会“を引くと、加速の要因として三つが挙げられています。
<技術的な加速>輸送や通信技術の発達
<社会変動の加速>人々のライフサイクルの流動性の高まり
<生活テンポの加速>体験や行為エピソードを増やしたい欲求の高まり

中でも着目したのは<生活テンポの加速>です。
加速する社会では、ミクロな個人レベルで体験や行為を増やしたい欲求が高まっており、そのために、技術進化によって時間短縮を達成してもなお、時間が足りないと感じてしまう。生活テンポを上げることで、より充実した豊かな生活ができると盲信されていないだろうか──

つい、技術の発達のみが社会の加速の要因だと考えてしまうところですが、先に述べた倍速視聴などの消費の加速化を代表として、早期からのキャリア形成意欲(タイパに優れるジョブ、出世に役立つ資格への渇望)などさえも要因の一つであると気付かされました。しばしばアニメやドラマの倍速視聴の意義が議論になることや、仕事やキャリアパスにもタイパコスパが叫ばれる時代の背景には、「人生をより速く、そのためにも一切の無駄や低コスパは許されない」という風潮があるのでしょう。

日常の中で少しずつ「ゆとり」を持つこと

このような議論をすると「都市を離れスローライフで暮らす」「自分のやりたいことでその日暮らしをする」といった答えが提示されがちですが、心配性な僕たち現代人にとっては、それらが容易な策だとは思えません。
当然魅力的なトレンドもありますし、何より社会や技術の発展と消費によっても、私たちの暮らしは豊かになっているからです。発展して加速する社会に対して、そこから切り離された自分を“時代遅れ“や“世間知らず”とまでは言いませんが、やはり抵抗や不安感が生じてしまうものです。
例えば育児で一時的に職場を離れるパパママが「社会から取り残されているような感覚を抱く」という悩みも、まさしくこの感情に由来するのではないでしょうか。

社会と自身とが切り離されることを、ハルトムートは“脱同期”と呼んでおり、極めてイメージしやすい表現に感じます。最適化や新機能の搭載、利便性の向上がなされたアップデートを放置して、いつまでも旧Versionでデバイスを用いることが難しいように、現代社会もまたそれ(=旧バージョンのままの暮らしに留まること)には一定の困難や抵抗が生じて致し方ないのだと言えます。

ではどうすれば?

田舎での休暇中、朝は鳥のさえずりで目覚め、食事は手間をかけて作り、社会や家族とも交流・コミュニケーションはゆったりとした時間の中で交わされていました。都市と郊外とで社会のあり方に大きな差があるとは思えませんが、確かに都市の喧騒とは異なる、穏やかな時間が流れており、心地よかったのです。
それは休暇中か否かという観点のほか、物理的にも最新のトレンドや消費の対象が制限されている、という点も見逃せません。

***
暮らしの全てをスローライフ化できないならば、すべてを一度に変えるのではなく、日常の中で意図的に「ゆとり」を持つのはどうだろうか。実践した体験をもとに、今回の帰省で特に有効に感じた3つをご紹介して文章を締めようと思います。

▪︎丁寧な食事と歓談の時間をとる
忙しいときほど、食事を簡単に済ませがちです。しかし、食材を選び、調理し、味わう時間を大切にすることで、心にも余裕が生まれます。また地元の農産物を活用した食生活の推進なども、コモン化・トレンド化して移り変わる食生活に対して、拠り所を提示してくれます。

過去の記事でも「食を楽しむこと、食材の取れた地域や調理方法の文化への関心」に触れています。

▪︎自然とのふれあいを増やす
公園や緑地を散歩したり、季節の花を愛でることで、自然のリズムを感じることができました。抗いようのない自然のリズムやスケールを体験することは、ヒトという動物が営む社会のスピードを相対的に認識することに効果的でした。

▪︎朝の時間を大切にする
朝起きてすぐにスマートフォンをチェックするのではなく、窓を開けて新鮮な空気を吸い、軽いストレッチや瞑想を行う。これだけで一日の始まりが穏やかになります。外からは地域コミュニティの活動音や挨拶が聞こえることで、確かにここにいていいんだという感覚が生まれ、発展した未来ばかりを志向するのでなく、今この瞬間を生きることの肯定にもつながります。

終わりに

「ゆとり時間」を持つことは、単なる「のんびりした生活」を送ることではなく、自分自身と向き合い、社会との関係性を見直すきっかけとなります。あなたも、今日から少しだけ立ち止まってみませんか?その一歩が、より良い未来への道しるべとなるかもしれません。

しかし見方を変えると、「ゆとりのある暮らしをする」ことが、豊かな暮らしをする目的に対して“効率がいい““優れた手段”であると捉えて正解を追い求める姿勢のようにも思え、振り出しに戻った感覚に嵌ってしまうのでした。

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この記事を書いた人

医歯薬系の大学院修士課程を修了後、現在はヘルスケア企業にて勤務しています。
植物と熱帯魚を愛でる生活に勤しみながら、写真も撮っています。
このブログではカメラファインダー小窓からのぞいた素晴らしい日常について、想いを綴っています。